建築物のデザインが、変な形や、変なダイアグラムをきそう競技になったのは何時からなのだろうか。あたりまえに思える、なにが「いい、わるい」、即ち、目指す方向というのは、存外と近年から始まった刷り込みではないのか。私が他国で教育を受けられた最大の恩恵は、そこにあるとおもうし、一つのことに懸命にならない・なれない理由もそこにあるように思う。
日本では、建築家が建築設計の競技を審査したり、場合によっては主催することさえある。どこかのおじさん/おばさん先生が、若い技術者にその正しさを啓蒙するために、あるいは学生さんを鼓舞するために、自分たちの尺度で「正しい」ものを、純粋に高めて、それをよしとする文化があった(今は知らない)。私が教育を受けたころの、建築のメディアは、教科書ではなく、(私感でしかないが)商業雑誌であった。
この分野に関する、記事や出版物は、過去の物件の分類か、科学的な正しさを記した電話帳(死語)か、流行やひけらかしののための広告、などに分けられるかもしれない。日本建築学会のしたためた資料集成か、資格予備校の資料を、むさぼるように読んでいる若い人はいなかった覚えがある。
2020年代のいま、紙からWEBへ徐々に移っている変わったということは、表面上は媒体の変化のみで本質は似ているようで、その実やや変わったところもあるという所感がある。例えば、今まで編集者がやっていたキュレーション、発信側の方法、それによる公告の在り方、流行の作り方、記事の焦点、売れる売れないに関係しない内容の作り方(どちらにせよ紙は売れない)。自らの会社の、あるいは個人のナルシシズムを満たす広告を打っている人たちには結構な変化があったのではないだろうか。
2010年代についに一般化した「DailyMe(ネグロポンテ)」、すなわちインフルエンサー的な仕事、モチベーション、行為、それにまつわるお金の動き方は、前時代の広告業、映画人、投資家、宗教家、建築家などの香具師が夢見た世界である。