音楽はもちろん昔から好きで幾度となく聞いてきたが、文化的人物としてそれほど真剣に、思想に耳を傾けたこともなかったが、近年のキョージュを追うドキュメンタリー「CODA」をみて、ふと刺さった言葉があった。
2000年代、あるいは2010年代に入ってからの教授の音楽活動を追ったドキュメンタリー、時系列やトピックはあえて切り刻まれているので、断片的である。どういう意味でそのような編集になったかは、これを書いている時点では知らない。NYのテロ、2011年の東北地震や、原発事故、デモ、自身の病気などを通奏低音としながら、円熟期の思想と音楽にかかわる話をしている。
冒頭略
※自分の家かスタジオの中に自分の顔の絵が飾られている。
(20分ごろ)病気をしたから免疫が弱っていると言いながら、歯磨きをする。イニャリトゥの新作映画・レヴェナントのためのサントラをつくっているらしい。手書きで譜面を書いている。ピアノのケーブルをこするようにノイズを作り、録音している。タルコフスキーの映画、(惑星ソラリス,1972)を振り返りながらコメントする。
『病気をしてその時のアイデアをすてて、新作を作ろうと。タルコフスキーの使っている、バッハのオルガンのコラールのかんじ、もっやと、ああいうものをつくりたいと、そこから始めてみようと、~バッハの曲はタルコフスキーにつかわれてしまった、くやしい、やはり自分でそういうものを書かなけりゃあだめだ、と』(27分)
森を散策しながら音をサンプリング、レコーダー片手に落ちているがれきを枝でたたく、
『普段囲まれている環境音、音楽的にも面白い、楽器の音も、環境音も混然一体となった、音響をいま、聞いてみたい』(30分ごろ)
自然音をサンプリングして、コンピュータを用いて編集している作業中、80年代っぽいって言いながら、昔を思い出した感じで
『(新宿の空撮をみながら)70年を真ん中に、ああいう東京に変わってきた、世界の中でも東京はテクノロジー的、文化的に最先端にいる、未来的な感じがしましたね、(~1970年代の教授自身のインタビューに飛ぶ)』(34分ごろ)
YMO時代のライブ映像をみながら
『(若いころのインタビュー映像、コンピュータを使う利点は?と質問に対して)主にコンピュータは、早すぎて弾けないものの助けのために使う、ピアノ弾けなくてもコンピューターにやってもらえば、、、』(38分)
「惑星ソラリス、1972」の劇中音に関する、物の音について、映画の中での音響について、こんな音楽を作りたい、とのこと。その実時間は2015年ころとおもわれる、雨や、陶器などの自然音のサンプリングをしている。(ちなみにこのシーンはこの映画のサムネとなっている。)
『映画的に考えてみている、実験的に、映画の中の音楽であるかのように音楽を作っている、今回もやってるんですけど、タルコフスキーの水・風・人が歩く音・なかの音が豊かですよね、ほんとに深く音に関してはケアしていたようですよね、物の音と、サウンドトラックは関係していた、ある意味音楽家ですよね。いろいろ考えあぐねた結果、ああいう音楽でいいのではなないか、ああいうあるばむがつくれたらうれしいですよね』(42分ごろ)
『映画音楽は違う視点で、こういうことをやれと注文してくる。不自由ですよね、音楽としては、こういうことをしろ、と言ってくる、でもその不自由さが自分に、まだやったことのない可能性がでてくるかもしょ。』(CODA、44分ころ)
「ラストエンペラー」や、「シェリタリングスカイ」という映画の音楽制作の過程を説明しながら、金属を擦るような音のサンプリングをしている。
『だいたい音楽を考えるときは、ピアノで考えていることが多いですね。ピアノってのは(音が)持続しないですよね、ほっとけば減衰していって、なくなっちゃうわけですね。段々ノイズの中に消えてしまっていって。常に持続する音、減衰しない音に憧れがあるのでは?ピアノ的なものはそれの逆ではないか、それは永遠性などを象徴する、あるいはメタファーなのかもしれないですけど』(CODA、53分ころ)
(1時間ごろ)話し言葉と陶器をこすり共鳴する音が溶け合うような、そういった音楽の作り方をデモンストレーションする。
『バッハは一音一音、祈るような書いてた、バッハってものすごくメランコリックに聞こえる。当時のヨーロッパでは疫病や、問題がたくさんあって、神はまだ生きていて、なぜ神はこういった悲劇をほっとくんだ、苦しみを与えるのかとかんがえながら、こういう曲を書いたと思うんですよ』(1時間2分)
福島を訪れて
『ピアノを作るために、木枠もワイヤーも、何トンという力が加わっている。もともとの物質を、工業の力で、自然を鋳型にはめる。人間は音が狂うというが、物質は元の状態に戻ろうともがいている。~津波を被ったピアノはすごくよく感じる~ピアノ的なもの、人間がむりやり幻想に基づいて調律したピアノ、人間にとっての自然(秩序)に対する強い嫌悪感が僕の中にある』(1時間10分ごろ)
USでのテロ、アフリカへ、北極へ、産業革命よりも前に降った雪の雪解け水の音を録音して、サントラに使用した。場面は福島へガイガーカウンターの電子音が響く
『』
さて、構想・計画・作為の持つ窮屈さ、卑屈さを、ようやく言語に落としてくれたと、ふと目からうろこの発言であった。
建築家という仕事、および周りの人間が自らを立てていく過程をたたきつけていく間に、なんともいたたまれない気分になっていたが、なかなか言語化はできなかった。
のちに冷静になると、しかし、教授の若いころの音楽も十二分に構築的だったことは棚に上げているような気もした。2017年のソラリに関してはバッハ的な何かが顔を覗かしてきたような。法則や秩序への萌え?